「都下」「都内」「都心」の意味の違い、読み方、成り立ち

「都下」「都内」「都心」の意味の違い、読み方、成り立ち

「都内」は、本来は東京都全域を指す言葉です。しかし実際には23区内を指すことも多いです。

そもそも1893年に多摩地区が東京府に編入された後も多摩地区を東京と呼ばない人が多く、この名残が残ったものです。

そこで「23区以外の東京」を区別するために「都下(とか)」という言葉が生まれました。

「都内」という言葉は、本来は東京都全域を指す言葉です。 しかし、実際には23区内を指すことも多いです。

「都内」の読み方は「とない」です。

「都下」という言葉は、東京都のうち23区を除いた市町村を指します。 例えば、八王子市や町田市などは「都下」にあたります。

「都下」の読み方は「とか」です。

「都心」という言葉は、東京都の中心部を表します。 どの地域を都心と呼ぶかは人によって異なりますが、大雑把に言うと「山手線の内側」が「都心」です。

「都心」の読み方は「としん」です。

「都下」の成り立ち

明治維新後の1868年(慶応4年)、江戸幕府が倒れて江戸は東京と改称されました。

その時に、旧幕府の行政機関であった江戸町奉行所の管轄地域を引き継いだのが東京府です。

東京府は、現在の東京都区部(東京23区)に相当する地域だけでなく、多摩地域や伊豆諸島、小笠原諸島なども含んでいました。

一方、東京市は1889年(明治22年)に市制・町村制が施行された時に設立されました。 東京市は、東京府の中にある1つの市で、当初は、その中がさらに15区に分かれていました。

今の大阪をイメージしてもらうと分かりやすいかもしれません。 大阪は、「大阪府」の中に「大阪市」があり、さらにその中に細かな「区」があります。

当時の東京も同じで、「東京府」の中に「東京市」があり、さらにその中が15区に分かれていました。

15区の範囲は、今の23区よりも狭く、旧江戸城下町の中心部をカバーする範囲でした。

当時は、東京市15区のことを「東京(市内)」と呼んでいました。

その後、15区は23区に拡大し、東京府と東京市が廃止されて東京都になりました。

このとき「東京(都内)」というと本来は「東京都全域」を指すことになるはずだったのですが、ほとんどの人の23区を「都内」と呼ぶようになりました。

これは、そもそも1893年に三多摩(北多摩郡、西多摩郡、南多摩郡)が東京府に編入されたとき、多摩地区を「東京(市内)」と呼ぶ人はほとんどおらず、その名残が引き継がれたものです。

そうなると「都内」と言ったとき「東京都全域を示す都内」なのか「23区内を示す都内」なのか、誤解を招く場面が多く生まれてしまいます。

そこで「23区外」を明確にする言葉として「都下」という言葉が使われるようになりました。

「都下」「都内」「都心」の使い分け

「都下」と「都内」はどう使い分けるのでしょうか。

基本的には、「都下」は23区以外の地域を表すときに使い、「都内」は23区内の地域を表すときに使います。

例えば「都下に家があり都内へ通勤している」というと、23区以外の地域に家があり、23区内の地域の会社へ通勤しているという意味になります。

ただし、「都下」という言葉は、「都下に住んでいる人間を見下した表現」と捉える人もいるので、公の場では使わないほうがよいかもしれません。

また、「都下」と「都内」以外にも、「都心」という言葉もありますね。

「都心」という言葉は、東京都の中心部を表します。

どの地域を都心と呼ぶかは人によって異なります。 昔の15区の範囲を「都心」と呼ぶ人もいれば、千代田区、中央区、港区の3区を「都心」と呼ぶ人もいます。

大雑把なイメージとしては「山手線の内側」のことを「都心」と呼びます。

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