「不要不急」の読み方、意味、SPI対策の覚え方は?
不要不急(ふようふきゅう)とは、必要でもなく、急ぎでもない事柄、つまり優先順位の低い事柄です。中国の四字熟語ではなく、太平洋戦争末期に政府(日本軍)が作った造語で、重要度の低い鉄道路線を接収、レールを溶かし武器にする計画でした。
常在戦場(じょうざいせんじょう)とは、いつも戦場にいるような心構えで物事に取り組むという意味の四字熟語です。
中国から来た言葉ではなく、戦国時代に三河国(愛知県)の牛久保城の城主だった牧野家の家訓として掲げられた言葉でした。
戦場とは、生きるか死ぬかの危険な場所ですから、そこにいるとしたら、一瞬たりとも気を緩めることはできませんよね。
常に緊張感を持って、注意深く、勇敢に行動しなければなりません。
この言葉は、そうした戦場の状況を例えにして、日常の中でも同じような気持ちで物事に臨むことの大切さを教えてくれるのです。
「常在戦場」の読み方は「じょうざいせんじょう」です。
この言葉はもともと江戸時代、牧野家という名家の「家訓」でした。
牧野家は、戦国時代に三河国(現在の愛知県)にあった牛久保城の城主だった過去があるのですが、その城は西から東、北方からも敵の攻撃を受けやすい場所にありました。 そこで、平和な時でも油断せずに戦闘準備を怠らないように、「常在戦場」という家訓を掲げたのです。
その後、牧野家は長岡藩(現在の新潟県)に移りましたが、「常在戦場」はそのまま藩風や藩訓として受け継がれました。
そして、幕末になると、新政府軍と旧幕府軍が激しく争った北越戊辰戦争(ほくえつぼしんせんそう)で、長岡藩を指揮していた河井継之助という人物が「常在戦場」という言葉を積極的に使いました。
「常在戦場」を自分や部下たちのモットーとして掲げて、長岡城を守るために奮闘したのです。 その様子が非常に勇敢だったため「常在戦場」は日本中に広まっていったのです。
太平洋戦争の時期に「常在戦場」という言葉は積極的にスローガンとして使用されました。
特に、連合艦隊総司令官の山本五十六は「常在戦場」という言葉を自分の信条としており、部下や同僚にもしばしばこの言葉を伝えていました。
一方で、太平洋戦争が終わると、たくさん兵士や一般市民が犠牲になった一因として、この「常在戦場」というスローガンの存在があるとして、「常在戦場」という言葉はネガティブな響きをもっていました。
しかし現代では、太平洋戦争直後のネガティブなニュアンスは薄れ、再び、ビジネスシーンやスポーツなどで使われ始めました。
例えば、「競争が激しいこの業界では、常在戦場の気持ちで仕事に取り組まなければならない」とか、「試合前は常在戦場のような緊張感がある」というような使い方です。
不要不急(ふようふきゅう)とは、必要でもなく、急ぎでもない事柄、つまり優先順位の低い事柄です。中国の四字熟語ではなく、太平洋戦争末期に政府(日本軍)が作った造語で、重要度の低い鉄道路線を接収、レールを溶かし武器にする計画でした。
「がめつい」とは、何かを欲しがる気持ちが強すぎ他人のことを考えない態度のことです。「がめ」とはスッポンのことで、スッポンは一度噛み付いたら離さないことから欲深く執着心の強い人を「がめ」と呼んでいました。
玉石混交(ぎょくせきこんこう)は価値の有るもの無いものが入り混じった様子です。多様性があると褒め言葉として使うのは誤りで、整理されてなく分かりにくいというネガティブな印象をともなうので誉め言葉ではありません。