「去就」の読み方、意味、SPI対策の覚え方は? 就くのか去るのか?
去就(きょしゅう)は、自分の今後の進路について決断することです。「去る」「就く」という反対の意味の漢字で構成され、離れるか従うかの二択があり、どちらにするか決断するのが本来の意味です。
美辞麗句(びじれいく)とは、表向き美しいが本心ではない言葉という意味の四字熟語です。
皮肉や軽蔑のニュアンスがあって悪い意味に使われる、けなし言葉といえます。
本心で相手の表現に感動したときに使う言葉ではありません。そういう場面では自分の気持を誠実に伝えましょう。
この言葉は、人に対してごますりやお世辞を言ったり、自分の本心と違うことを言ったりするときに使われます。
相手に良い印象を与えたり、都合の良い返事を引き出したりするために、表面的に美しく飾った言葉を並べることを指します。
しかし、そのような言葉は真実味がなく中身に乏しいので、聞く側は信用できなかったり、不快に感じたりすることがあります。
この言葉は、悪い意味で使われることが多く、皮肉や軽蔑のニュアンスが含まれます。
つまり、「美辞麗句」という言葉が使われるときは、基本的には「ほめていない」と考えたほうがよさそうです。
この言葉は、自分で使うときも注意が必要です。
「相手の言動を非難している」というニュアンスあるからです。
上でみたように「美辞麗句」という言葉を使うときは、必ずしも相手を褒めていません。
もし、相手に感謝や敬意を伝えたいときは、素直で誠実な言葉を選ぶ方が良いでしょう。
では、「美辞麗句」を使った例文を見てみましょう。
「美辞麗句」の読み方は「びじれいく」です。
「美辞麗句」は、「美辞」と「麗句」の2つの言葉を合成したものです。
「美辞」とは、「美しく飾った言葉」、「麗句」とは、「美しい語句」という意味です。
どちらも似たような言葉をあわせて生み出された四字熟語ですが、それぞれの単語にはネガティブなニュアンスはありません。
なぜこの言葉がネガティブなニュアンスをもつようになったのでしょうか?
「美辞麗句」は、日本の平安時代の歌人・紀貫之が作った造語と言われています。
紀貫之は、『古今和歌集』の序文で、和歌の作法について説明する際に「美辞麗句」を用いています。
「和歌は、心にそひて言葉にそふるものなり。心にそひても言葉にそふらざれば、心なきがごとし。言葉にそふれども心にそひざれば、美辞麗句なり」
つまり「和歌は心と言葉が一致してこそ価値がある」という考えを示すときに、悪い例として、心に沿っていない言葉は「美辞麗句」でしかなく空虚なものだと批判しています。
このように紀貫之が「美辞麗句」という言葉を使ったことで、「美辞麗句」は和歌の作法を表す言葉として、後世の文学や文化に引き継がれていきました。
のちに、和歌以外の分野でも「うわべだけ飾った言葉や文句を批判する」際に「美辞麗句」という言葉が使われるようになりました。
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