「慚愧に堪えない」の読み方、意味、SPI対策の覚え方、「反省する」との違い
慚愧に堪えない(ざんきにたえない)は「自分の行いを強く反省して恥ずかしく思うこと」です。ではなぜ「反省する」と言わないのでしょうか? 反省という言葉を使ったほうが分かりやすいと思いますよね。
玉石混交(ぎょくせきこんこう)は価値の有るもの無いものが入り混じった様子です。
多様性があると褒め言葉として使うのは誤りで、整理されてなく分かりにくいというネガティブな印象をともなうので誉め言葉ではありません。
例えば、「インターネット上のコンテンツは玉石混交だ」と言えば、「インターネット上のコンテンツには、良いコンテンツと悪いコンテンツが混ざっている」という意味になります。
例えば、「このブログの記事は玉石混交だ」と言えば、「良質な記事と悪質な記事がごちゃごちゃになって掲載されている」というマイナスな意味として使われる場合があります。
一般的に褒め言葉ではないので、安易に使わないよう注意しましょう。
「玉石混交」の読み方は「ぎょくせきこんこう」です。 「ぎょくせきこんごう」という読み方は間違いなので注意しましょう。
「玉」は「価値のあるもの」、「石」は「価値のないもの」を意味しています。 もともと「原石(宝石のもとになる石)」を磨いて磨いて、丸い形にすると「玉」になるイメージですが、ここでは「玉」を「価値のあるもの」、「石」を「価値のないもの」と対比して捉えています。
対比してとらえているので、「玉石」は「価値のあるものも、価値のないものも、どちらも」という意味です。
「混」は「異なるものが一緒になること」、「交」は「入り交じること」という意味です。
したがって、この2つの言葉を組み合わせて「価値のあるものも、価値のないものも、入り混じっている」という意味になります。
「玉石混交」は、中国古代の文人である葛洪(かっこう)が書いた故事「抱朴子(ほうぼくし)」に由来します。
「抱朴子」は、葛洪が自分の考えや知識をまとめた随筆集です。
その中に、「昔は内容の善し悪しを見極める人がいたけれど、今はいなくなってしまって本物と偽物が逆になって入り混じってしまっている」と述べている文章があります。
それを「真偽顛倒し(しぎてんとうし)、玉石混淆す(ぎょくせきこんとうす)」と書き記しています。
ここから、「価値のあるものや、ないものが入り混じっている」という意味で「玉石混交」という言葉が使用されるようになりました。
慚愧に堪えない(ざんきにたえない)は「自分の行いを強く反省して恥ずかしく思うこと」です。ではなぜ「反省する」と言わないのでしょうか? 反省という言葉を使ったほうが分かりやすいと思いますよね。
善処します(ぜんしょします)は「状況に応じて適切に処理します」という意味です。しかし逆に言えば「状況によっては処理をしない」ことも意味に含むので、1969年、日米首脳会談で大問題が起きました。
漸増(ぜんぞう)は「だんだんに増える」や「次第に増やす」という意味です。漸減(ぜんげん)は「だんだんに減る」や「次第に減らす」という意味です。