「鬼籍に入った」の読み方、意味、SPI対策の覚え方は?
鬼籍に入った(きせきにいった)とは、要するに死んだという意味です。中国古典では「鬼」は死者の霊のこと、つまり鬼籍は「死者の霊の名簿」のことだったのです。
たまに「紅顔無知」という漢字を見かけます。「無知」を指摘されて「顔」を「紅く(赤く)」して反論するイメージですね。
ただ四字熟語として「紅顔無知」という言葉はなく、作者の造語か「厚顔無恥(こんがんむち)」の書き間違いです。
「厚顔無恥」という言葉の意味は、簡単に言うと「恥知らずでずうずうしい」ということです。
「厚顔無恥」の読み方は「こうがんむち」です。
例えば、自分のミスを棚に上げて他人を責める人などは「厚顔無恥」な人と言えます。
このような人は、自分の非を認めないし他人の気持ちを考えないので、周りから嫌われたり信用されなかったりします。
たまに「紅顔無知」という漢字を見かけることがあります。
「無知」を指摘されて「顔」を「紅く(赤く)」して反論している姿がイメージされる表現ですね。
ただ実際には、四字熟語として「紅顔無知」という言葉はなく、作者の造語か「厚顔無恥」の書き間違いです。
もともと「厚顔」とは「顔の皮が厚い」ことの例えです。「皮が厚い」ので「繊細な表情」がないのですね。
また「無恥」とは「恥を知らない」ことです。
ここから、「厚顔無恥」とは「恥知らずで厚かましい様子」という意味になりました。
「厚顔無恥」は中国の古典「論語」に由来しています。
「論語」は、孔子とその弟子たちの言行録であり、儒教の教えを伝える重要な書物です。
その中に「子曰 君子厚徳而薄財 小人厚財而薄徳 君子厚徳 故不厚顔 小人厚財 故不知恥」という一節があります。
これを日本語に訳すと「先生(孔子)は言われた:君子(立派な人)は徳を重んじて財を軽んじるが、小人(卑しい人)は財を重んじて徳を軽んじる。君子は徳を重んじるから、ずうずうしくならない。小人は財を重んじるから、恥を知らない。」という意味になります。
この一節から、「厚顔無恥」という言葉が作られました。
この言葉は中国から日本に伝わり、日本語でも使われるようになりました。
もともと「厚顔無恥」は、人の態度を批判・否定する言葉で、良い意味では使われません。
自分に都合のいいような主張ばかりして、迷惑をかけても平然としているような人を表す時によく使われます。
例えば、「あの政治家の厚顔無恥な態度と言い訳にはうんざりする」「人を批判しておきながら、困った途端に泣きついてくるとは厚顔無恥も甚だしい」というように使えます。
しかし、社会の変化とともに「厚顔無恥」は近年、別の意味でも使われるようになりました。
「世間体や周囲の目に気を使っていては本当にやりたいことができない」
「いっそ図々しい方が得だ」
「厚かましい方が気楽だ」
というように、良いニュアンスで使用される例も出てきました。
ただ、本来「厚顔無恥」はネガティブなニュアンスを伴う言葉です。
ポジティブなニュアンスで「厚顔無恥」という言葉を使いたい場合、「自分に対して」この言葉を使いましょう。
他人を形容する言葉として「厚顔無恥」を使った場合、相手を精神的に傷つける可能性があることを覚えておきましよう。
他人に対して「厚顔無恥」を良いニュアンスで使用したいときは、「厚顔無恥」とは言わず「素直に生きる」「人の目を気にせず自分らしくありたい」など表現を使うべきです。
鬼籍に入った(きせきにいった)とは、要するに死んだという意味です。中国古典では「鬼」は死者の霊のこと、つまり鬼籍は「死者の霊の名簿」のことだったのです。
たまに「紅顔無知」という漢字を見かけます。「無知」を指摘されて「顔」を「紅く(赤く)」して反論するイメージですね。ただ四字熟語として「紅顔無知」という言葉はなく、作者の造語か「厚顔無恥(こんがんむち)」の書き間違いです。
「薫陶(くんとう)」とは、優れた人格で人を感化し教育することです。「薫」の漢字は「香る」、「陶」の漢字は「陶器」で、香りを染み込ませた土で器を作るということが「薫陶」という言葉の本来です。